最先端の技術を駆使しながら空気を清浄化するクリーンルーム。そのイメージから「クリーンルームは近年にできたものでは?」と思いがちですが、実は半世紀以上の歴史があるのです。ここではクリーンルームの起源と変遷、近年の状況を見ていくことにしましょう。

 

軍需産業から生まれたクリーンルーム

 

製品の製造、また製品を動作させる際にコンタミが悪影響を及ぼすことは、ずいぶん昔から認知されており、それらを除去する機構や付属品を用意するということも20世紀より以前から散見できます。ただ、各種産業の技術レベルから推測されるのは、コンタミといっても目に見えるレベル、または集積すればわかるレベルでの話であり、それ以下のチリやホコリを除去しようという発想はそれほど強くなかったと思われます。

それが、1940年代に入り、製造部門においてほこりなどの少ない清浄な環境整備の重要性が認識されはじめます。その契機となったのが、第二次世界大戦の開戦です。

当時、アメリカ軍は軍事用レーダーを開発しており、第二次世界大戦が開戦した翌年には複数の艦艇にレーダーを導入していたようです。こうした通信・電子機器は軍事的に有用であるとの判断で開発され、実用化また量産化されていきましたが、時に過酷な環境下におかれる戦場にあっては、頻繁に故障をするものであり、その修理代はもとより、いざというときに使えないということの経済的損失はとても大きいものがありました。多くの国防予算が費やされる現状を危惧した軍は、レーダーを含む通信・電子機器が故障する根本的原因を究明しようと取り組みを進め、結果、製造過程における浮遊粒子状物質の混入が問題と判明しました。そして、清浄な環境の整備を重要視するようになり、クリーンルームの構想が生まれていったのです。

 

HEPAフィルターもマンハッタン計画から誕生

 

近年では家庭用空気清浄機でもよく使われているHEPA(high efficiency particulate air)フィルターも、同じ頃に開発されたものです。歴史では「マンハッタン計画」と称される軍拡競争において、「放射性粉塵用エアフィルター」として考案され、誕生しました。これによって第二次世界大戦が勃発している最中にあって、アメリカではHEPAフィルターを搭載したプレハブの部屋をクリーンルームとして設置されていったのです。
クリーンルームができたことによって、アメリカでは製造した軍事用レーダー、また他の通信・電子機器のことで、製造したレーダーなどの故障率が激減したとされています。そして終戦後は、各種産業において重要性が広く認識されるようになりました。

 

日本では1980年代に普及、半導体産業の飛躍に貢献

 

第二次世界大戦が終結したあと、アメリカでは米国航空宇宙局(NASA)のアポロ計画や半導体の開発・高技術化に伴って、製造工程でのクリーンルーム利用が広がっていきました。そのため、アメリカ国内では米国連邦規格(Federal Standard)が設けられ、アメリカ以外の国・地域でも同規格を用いて導入が進みました。現在においても同規格が慣習的に用いられているのは、そうした理由があるようです。
さて、日本では戦後の高度経済成長期を経て、1980年代には製造工程でのクリーンルーム設置の重要性が知られるようになりました。とくに半導体産業では、世界の先進国と比肩するまで高技術化が進み、やがてはアメリカと世界を舞台に覇権を争うようになりました。一説によると、こうした競争を可能とした背景には、日本の半導体製造部門においてクリーンルームやクリーンレベル維持の環境整備が徹底されたことで、歩留まりが向上したことが一因となっているともいわれてます。
その後、日本でも1989年にJIS規格「クリーンルーム中における浮遊微粒子の濃度測定方法及びクリーンルームの空気清浄度の評価方法」(JIS B 9920)が制定に。さらには1999年に、クリーンルームの国際規格ISO14644-1が制定となりました。
2000年代以降は、家庭用空気清浄機の普及によって、空気の清浄化は身近な存在となってきました。クリーンルームも各種産業で重要視されるようになり、歩留まりはもとより会社の価値向上、ブランディングにも生かされています。また、これまでクリーンルームを活用する分野も増えており、簡易ブースや他の機能性へのニーズが高まっています。